1988-04-21 第112回国会 参議院 文教委員会 第6号
○粕谷照美君 当文教委員会でも数年前、病院に併設している大分県の石垣原養護学校を見ました。大変熱心な教育、そして医療をやっていらっしゃるし、先生方もあれですけれども、子供たちがやっぱりああいう中に入っていって成長していくという感動的なお話などもいろいろ伺ったわけでありますが、この病院併設の養護学級あるいは学校ですね。
○粕谷照美君 当文教委員会でも数年前、病院に併設している大分県の石垣原養護学校を見ました。大変熱心な教育、そして医療をやっていらっしゃるし、先生方もあれですけれども、子供たちがやっぱりああいう中に入っていって成長していくという感動的なお話などもいろいろ伺ったわけでありますが、この病院併設の養護学級あるいは学校ですね。
私が文教委員派遣で昨年訪れました大分県立石垣原養護学校の校長室に、不自由な体で何カ月も何カ月もかかって仕上げた子供たちのすばらしい切り絵や刺しゅうなどの作品が展示されていました。
そういう論争については、きょうは四十分でありますから、そう多くを語る時間がございませんので、私は大分県の別府にいま石垣原養護学校というのができておりまして、これは厚生省と文部省の努力によりまして、もちろん、この病院の統合そのものについては若干問題はありましたけれども、統合によりまして六百といういま病床がございますが、そのうちの二百四十が小児病棟として筋ジストロフィーから、あるいは長期の結核療養者、さらに
ぜひ実施をしていただきたいという希望があるんだけれども、残念ながら、大分県の場合にもこの別府の石垣原養護学校に三名の先生の定員をふやしていただければ、この国立別府病院の小児病棟の子供たちも全員普通の学校の子供たちと同じ程度の学力になるぐらいの教育効果を十分にあげることができるんだという実は強い要望があるんですけれども、県の財政の関係かわかりませんけれども、残念ながら本年度もその三名の定員をふやすことができずに
○工藤良平君 それともう一つの問題は、現在、石垣原のこの養護学校の実情を見ますと、非常に心配をされている点があるわけです。それはベッド数が一応限定されております。
○政府委員(松尾正雄君) たとえば統合いたしました——四十六年にいたしましたので数が一番大きなものは西別府病院というものでございまして、これは光の園、石垣原、別府荘という三つを合わせたものでございます。これはまた別府市内にすべて存在する施設でございまして、それをやはり同じ市内に、きわめていい場所に、きわめて近代的な形で完成をした、こういうものでございます。
石垣原、別府荘、光の園というのが西別府という療養所に統合されている。屋形原、厚生園というのが南福岡。島根、松江というのが松江に統合されている。そしてその統合によって、一方の施設をまるまるつぶしている。それだけならまだしものことであります。私はそのこと自体に問題があると思う。実はその病院を利用してきた国民の療養を奪うものですから。
それから南九州では加治木と帖佐といいますか、西別府でも石垣原と別府荘と光ノ園、これなんかも一緒になっているようですね。それから南福岡では屋形原と厚生園、松江でも島根と松江、こういうようなことを考えてみますと、すでに十五施設の統廃合が行なわれて、八施設が廃止されてしまっているわけであります。
旭川の療養所を旭川の病院に、青森の療養所を臨浦園に、道川療養所を秋田療養所に、それから大分の場合は別府荘、光の園を石垣原に統合するという予定があるわけでしょう。そういう予定をあなた方がお示しにならなければ、ほんとうの統廃合、整理統合は審議できないじゃありませんか。
同時に、現在の石垣原は子供の結核棟を入れておりましたり、あるいは筋ジストロフィー棟を入れておりましたりして、子供のための長期療養施設としての性格を持ってきております。そういう意味で、結核病床も減らさず、また子供の長期療養施設としての性格も強化していくというような意味で特徴を持った、しかも近代的な療養所にしたい。そういう意味で三院を統合して整備することにいたした。
これらのグループにつきまして申し上げますと、刀根山病院、八雲療養所、西多賀、下志津、鈴鹿、兵庫、広島県の原、徳島、大分県の石垣原、こういった各療養所が、いま申し上げた東大なりあるいは徳島大学と一緒になりまして臨床研究を実施している、こういうことでございます。
第四日は、身体障害者の施設の国立別府保養所、国立療養所の石垣原病院と国立別府病院などの国立医療施設の視察をいたしました。労働及び厚生行政の全般はきわめて多岐にわたっておりますので、今後の委員会の審議を生かして参りたいと考えます。
又国有の普通財産として現在別府市にあるものとしては、一、旧軍用地として石垣原演習地六十万坪、この土地は二十年程前に別府市が九万円で国に売渡したもので、将来軍用を廃するときは同市に買受価格で売戻す契約があるものである。(「簡單にやれ」「簡單」と呼ぶ者あり)二、鉄輪所在国有地六千坪、この土地は亀川海軍病院分院用地として別府市某有志より寄附したものである。
拂下を主として考えておりまする問題は、別府にありますところの国有財産中旧軍用地として、石垣原の演習地が六十万坪ございます。但しその土地は二十年程前に別府市から僅か九万円で国に売渡したもので、そうして将来国においで軍の用に供しなくなつたときには国から別府市に買受価格で売戻すという契約を取り交しておるものでございます。
今予定しております中には、国立宗谷温泉、それから佐倉病院、それから別府に石垣原という分院がございます。それから津に明星病院というのがございます。それから又東京第一病院の附属といたしまして小諸に分院がございます。こういうものは現在国立病院でございますが、これを国立療養所に所属をしたい、こういうようなものでございます。